半泥子、千歳山を知っていますか?

まずは、半泥子とは、そもそも何と読むのか、どんな人なのか、から始めることにします。半泥子は「はんでいし」と読みます。川喜田久太夫政令(かわきたきゅうだゆうまさのり)という人物の号の一つです。

どんな人なのかは、次の本人の自己紹介が簡にして要を得ています。紺野浦二の別名での昭和11年(1936)の著書『大伝馬町』の巻末の紹介です。その横顔は娘澄子によるものです。

 紺野浦二とは世を忍ぶ假の名、實は十六代川喜田久太夫政令と

いふが本名なり。道樂に陶器を燒いて、自ら泥佛堂半泥子とい

ふ。また生まれ星が五黄の寅で無茶星だとひとからいはれ、爾

来無茶法師とも名乗る男なり。日常、山の中に住み、爲すこと

が荒くれなところから、誰れいふとなく「ターザンの親方」と

いふ。後世誤って山賊のやうな面構えに扱はれては、との深謀

遠慮から茲に娘澄子の描いた顔をのせておく。

「山の中」、つまり千歳山に住み、「道樂に陶器を燒いて」いるというのですが、職業は示されていません。世を忍ぶ仮の名が数々あるのが、油断ならないところです。半泥子像はなかなか感じが出ていますが、『大伝馬町』の出版に合わせてのものなら、半泥子は58歳ぐらい、澄子は22,3歳です。なお、当時はターザン映画が大人気で、ほぼ毎年1作が製作公開されていました。

一方、次の自己紹介は、半泥子が会員であった、集古会の昭和10年の名簿『集古皕会記念華名冊』の記事です。この会は「談笑ノ間ニ史学考古学ノ智識ヲ交換スル」を目的とするもので、好事家や学者が会員となっています。名簿には氏名と生年月日のほか、一出生地、二現住所、三職業、四研究の事項、五収集品、六本姓名乗雅号、が記されています。

   川喜田久太夫

明治十一年十一月六日生

五黄の寅男

一 大阪東區本町の假寓

二 津市外千歳山

三 銀行頭取と木綿問屋

四 研究といふよりも道樂で自然研究といふ作陶

五 おもちゃの貯金玉

六 本姓は菅原、名乗は政令、半泥子、無茶法師、泥佛堂主人

これで、半泥子の本業は銀行頭取、木綿問屋であることが分かります。銀行は津市に本店を置く百五銀行です。木綿問屋は江戸時代以来の川喜田家の家業で、川喜田家は江戸で営業し、本宅を津に置く伊勢商人でした。この半泥子の道楽が作陶、道楽の拠点が千歳山というわけです。道楽は、二つの自己紹介のいずれにも登場する言葉で、どうやら道楽が半泥子のキーワードになりそうです。